闘病記録04-転院先探しでパニックに- [闘病記録]
事故後約1ヶ月、私は未だに自分で起き上がる事はできませんし、普通に座っている事すらできませんでした。
そんな状態でしたが、私の実家から病院まで新幹線で泊まりこみ&付添いをしてもらっていたため家族には大変な負担になっていました。
そのような中で私は知りませんでしたが、入院していた新潟の病院から両親には
「転院先を見つけておいて下さい」
と言われたそうです。
しかし転院先を見つけろと言われても、両親には高次脳機能障害のリハビリができる病院など予備知識はありませんでしたし、インターネットもまともに使えない両親は本当に困ったようです。
知人のツテを頼り、ようやく候補を見つけたようです。
しかしそちらは収容人数が一杯という回答で、待機リストに入れてもらいましたがすぐに転院できませんでした。
仕方なく家から比較的近い病院で本命の病院に転院までのつなぎという事で受入許可が下りました。
ところがいざ転院が決まっても自分では歩く事はおろか、起き上がることすらできません。
尿管を付けた状態でベッドのまま、介護タクシーで新潟から神奈川へ移動しました。
スポンサーリンク
コメント 0